世界中の高校生が津波や防災について話し合う! 「『世界津波の日』高校生サミット」
まずはみんなに質問!
「11月5日」は何の日か知ってる?
答えは「世界津波の日」。
国連によって定められた記念日だ。
津波による被害は世界中で起こっている。
津波は他の災害に比べると発生頻度が少ないが、ひとたび起きてしまうとその被害は甚大なものに…。
例えば、2004年12月に発生したスマトラ沖大地震。
この地震で発生した津波がインドネシア、タイ、インド、スリランカなどの沿岸部を襲い、20万人以上の方が亡くなったという。
そして、2011年3月の東日本大震災。津波によって町が流され、約2万人もの命が失われた。
こうした津波の脅威から人々を守るために、日頃から津波に備え、その被害を最小限に抑える目的で定められたのが「世界津波の日」。
11月5日を中心に、各国で津波防災をテーマにしたイベントが行われる。そのひとつが日本で開かれた「『世界津波の日』高校生サミット」。
一体、どんなイベントなんだろう?
イベントを後援する外務省の、国際協力局 地球規模課題総括課 の藤浪武志(ふじなみ・たけし)さんにお話をうかがった。
1.「世界津波の日」はどのようにして始まったの?
2.「世界津波の日」はなぜ、11月5日なの?
3. 津波の被害を最小限にするために、災害に関する知識を得ることが重要
4. 今年のサミットには、26カ国・約250人が参加
5. 防災業務を通じて世界の平和にかかわれるのが、やりがい
6. 高校生の皆さんへ
「世界津波の日」はどのようにして始まったの?
2015年の国連総会で、津波の脅威と対策への意識を高めようと日本が「世界津波の日」の制定を呼びかけたところ、満場一致で採択されました。
海がなく津波が起こらない内陸の国々も賛同してくれました。
津波防災を考えることは、すべての自然災害の備えを考えることにもつながると、各国が理解を示してくれたのです」
そして、藤浪さんはこんなことも教えてくれた。
地震、津波、台風、土砂災害、噴火、雪崩など、古くからたくさんの災害を経験してきました。
その分、防災に関する豊富な知識や技術をもっていて、その蓄積は世界でもトップクラスといえるでしょう。
そうしたノウハウを生かし、日本は先頭に立ってさまざまな国際協力を行ってきました。
例えば、途上国の人たちが災害に備えられるよう、避難施設をつくったり、津波警報システムの技術を提供するなどの支援です」
つまり、津波などの自然災害に対する防災の分野では、日本は世界のリーダー的な役割を果たしているんだ。
「世界津波の日」はなぜ、11月5日なの?
これは、江戸時代後期の安政元年(1854年)11月5日、紀伊半島や四国などを中心に安政南海地震が発生したときの逸話だ。
和歌山県の海沿いにある広村(現・和歌山県広川町)を治めていた濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)が、その地震の大きさから津波がくることを察知。
村人を高台へと避難させるため、自らの稲の束(稲むら)に火をつけて目印にし、多くの命を救ったと伝えられている。
その後、濱口梧陵は私財を投げうって、村に堤防をつくった。
この堤防があったおかげで、それから92年後(1946年)の昭和南海地震のときも、津波災害から多くの命を守ることができた。
(※1)日本では、東日本大震災が発生した2011年に、11月5日を『津波防災の日』と定めている。
津波の被害を最小限にするために、災害に関する知識を得ることが重要
この「稲むらの火」から私たちが学ぶべき教訓には、次の2つがあると藤浪さんは話す。
●地震が発生したら、すぐに高台へ逃げる。
●津波が起きやすい地域には堤防や避難施設をつくり、被害を最小限に抑えるよう備える。
そうした犠牲者を出さないよう、日本は『世界津波の日』をきっかけにして、先人が培ってきた伝統的知識を世界に伝えていきたいと考えています。
そのためには、将来を担う若い世代への防災教育が重要。
そこで開催されたのが、世界中の高校生が津波防災について共に学び、議論をする高校生サミットです」
今年のサミットには、26カ国・約250人が参加
そうして、初めての「『世界津波の日』高校生サミット(以下、高校生サミット)」が開かれたのは、2016年。
高知県の黒潮町で2日間にわたって行われ、日本を含む30カ国の高校生約360人が参加した。「自然災害から生き抜くために、次世代を担う私たちにできること」をテーマに、12のグループに分かれて意見交換を行い、最終日にはグループごとに発表。
津波に強い住宅、自然災害リスクの理解、自然災害への備え、被災後の復興などさまざまな切り口で発表があった。
建物の1階分の高さを3mとすると、10階以上の高さの津波が襲来することになります。
黒潮町では、海岸近くに津波避難タワーを建て、町の防災拠点となる庁舎を高台に移転するなど、町が一体となり防災に取り組んでいます」
その津波避難タワーの見学も、高校生サミットのフィールドワークとして組み込まれたそう。
このほか、江戸時代に黒潮町一帯に大きな被害をもたらした安政津波(1854年11月5日)の惨事を伝える石碑の見学や、高台への避難訓練も行われた。
※昨年開催された「『世界津波の日」高校生サミット」の報告書
今年は11月7日と8日に「『世界津波の日』2017高校生島サミットin沖縄」が開催された。開催地は沖縄県宜野湾(ぎのわん)市。
インドネシアやフィジー、スリランカなど、沖縄県と同じような自然環境にある島しょ国を中心に、日本を含む26カ国・約250人の高校生が参加した。
この大津波は波の高さが最大で約30mと伝えられ、約1万2000人が亡くなったといわれています。
今でも石垣島や宮古島など、県内各地に津波石と呼ばれるものが残っていますが、これらは津波によって運ばれてきた石なんですよ。
津波の恐ろしさを伝える歴史的遺産なので、今回の高校生サミットでも見学の機会がありました」
※「沖縄の石垣島に残る津波石」
▼今年のイベントの様子
【開会式の様子】
※「『世界津波の日』2017高校生島サミットin沖縄」の開会式の様子。安倍総理からビデオメッセージが寄せられた
【分科会】
※参加高校生はまず、8つのグループに分かれて議論。その後、グループで議論した成果を参加者全員の前で発表した
【集合写真】
※今回は、日本を含む26カ国、約250人の高校生が参加した
防災業務を通じて世界の平和にかかわれるのが、やりがい
高校生サミットの様子を教えてくれた藤浪さん。
現在、外務省で主に防災分野に関する国際協力にかかわっているが、防災の仕事をすることは高校生のときからの夢だったそう!
ひとりでも多くの命を救うには、大地震が起きても壊れない道路や建物をつくるための政策を考えることが必要だと思うようになり、高校時代に志望したのは建設省(現在の国土交通省)で働くことでした」
※外務省に着任してほどなく、UNISDR(国連国際防災戦略事務局)のトップと、日本議員・政府団が会談を行った際に同席(右から2人め)
大学・大学院で防災を学び、卒業後は国土交通省へ入省。
南海トラフ巨大地震を想定した高速道路計画を担当するといった防災業務を経験し、今年4月から外務省に出向している(※2)。
(※2)出向とは、もとの勤務先に所属したまま、ほかの事業所などに勤めること。より幅広い経験を積むなどを目的としている。
高校生の皆さんへ
そんな藤浪さんから、メッセージをもらった。
いろいろな国の高校生が人種や文化の垣根を越え意見を交わし、国や地域のため本気で津波防災を考えるという経験はとても意義があると感じています。
参加した高校生が大人になったとき、自分が住む地域やそれぞれの国で防災のリーダーとなり、津波などの自然災害への備えに取り組み、結果として自然災害から多くの命が救われることを願っています。
イベントの様子は高知県黒潮町や沖縄県などのホームページでも紹介されているので、ぜひご覧くださいね」
興味がわいてきた人は、詳しく調べてみよう!
藤浪武志
国際協力局地球規模課題総括課 課長補佐
高校時代はラグビー部に所属し、3年生のときには県大会で準優勝。
大学は工学部へ。卒業後、大学院に進み、防災の研究に取り組んだ。
2007年に国土交通省入省。
港湾局、八ッ場ダム工事事務所、道路局、大臣官房に勤務後、四国地方整備局では南海トラフ巨大地震を想定した高速道路計画などを担当。
2017年4月より外務省で現在の業務に携わる。
※高校時代は野球で言う「甲子園」に当たる「花園」を目指していたラガーマン(中央)
*大切にしているモノ(マグカップ&英語の参考書)*
高校を出てから16年間、ずっと愛用しているんですよ。ちなみに私は、前列右端に写っています。
外務省へ異動して英語が必要になったので、語学の勉強に励んでいます。
勉強に役立っているのは、高校3年生のときに使っていた参考書なんですよ。
高校時代に頑張った結果が、今の仕事に非常に役立っています。
ただし、高校時代はテストで高得点をとるための勉強でしたが、今は英語を使いこなせるようにならなければという意識をもって勉強しています。
以前より少しは相手と話せるようになったかなと思います」
注目キーワード
小林裕子
出版社などで編集を経験し、フリーに。情報誌やWebサイトで仕事、資格、地域コミュニティ、住宅、生活スタイルなど幅広い分野で活動しています。さまざまな世界で活躍するプロフェッショナルを取材し、高校生の役に立つ情報をお伝えしていきたいです。