映画監督・二宮 健さんに聞く! 映画監督になるために必要なものとは
映画が好き、映画にかかわる仕事をしたい、映画監督になりたい!とあこがれている人のために、現在、大ヒット上映中の映画『真夜中乙女戦争』で監督・脚本・編集を務めた映画監督・二宮 健さんにインタビュー!
どんな高校生活や大学生活を送ってきたのか、映画に対する思い、映画監督に興味がある高校生へのメッセージも聞いてみた。
二宮 健さん
1991年12月17日生まれ。大阪府出身。
高校の映画研究部で制作した監督作品『試験管ベイビー』が高校生映画コンクール・映画甲子園で監督賞を受賞。
大学の卒業制作として監督を務めた『SLUM-POLIS』が国内外の映画祭で話題となり、2015年に全国で劇場公開された。
2017年『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTYーリミット・オブ・スリーピング・ビューティー』で商業映画デビュー。
『チワワちゃん』(2019年)、『とんかつDJアゲ太郎』(2020年)など、次々と話題作を発表して注目を集める。
新たな日本映画を発掘する映画上映企画「SHINPA」主宰。
映画監督同士で声をかけあい、映画祭とのコラボレーションや年越しカウントダウン・オールナイトなど、形態にとらわれないさまざまなチャレンジを続ける。SHINPA | 映画上映企画
目次
映画監督になろうと思ったきっかけは?
※小学生のころから動画を撮ることに興味があったという二宮監督
小学生のころからブロックや友達を撮影していた
物心がつくころには「映画監督になる!」と言っていたという二宮 健さん。ー 映画が好きになったきっかけは?
「幼稚園のとき、父がレンタルビデオを借りてきて見せてくれた『スターウォーズ』。
夢中になって見ていて、気がついたら『ぼくも映画監督になる!』と言っていたそうです。小学生のころから、家にあったホームビデオカメラでレゴ®ブロックを撮っていました。
友達を家に呼び、『そのブロック動かして』とか言って手伝ってもらっているうちに、人物を撮ることにも興味がわいて、友達を撮影するようになったんです。
スティーブン・スピルバーグ監修のレゴ®ブロックで、「レゴ®で映画を作ろう」というシリーズがあり、小学生でも簡単なパソコン編集ができるソフトも付いていたので、それを使って、撮影した映像を編集していました。
中学生になってからは、Adobe®の簡易版のソフトを使って編集するようになり、今でもAdobe®の編集ソフトを使っています。
ぼくは、とにかく映画を観るのが大好き。映画を撮るのは、映画を観るのが大好きな延長上。大好きな映画を観ると、自分もこういう映画を撮りたい!という高揚感に駆られる。その気持ちは本質的には今も変わりません」
名ばかりの映画研究部で、ひとりで映画を撮った高校時代
※どうしても映画を撮りたいと考えた末、映画研究部へ
ー 高校時代は、どんな生活をしていたの?
「最初は中学時代の延長で、遊び感覚で同級生の友達を役者にして映画を撮っていました。ところがあるとき、ケンカシーンを撮っていたら、事件だと誤解した人に警察に通報され、停学になってしまったんです。高校の先生からは、もうビデオカメラを持ってきてはダメだと言われて…。
でもどうにかして続きを撮影したいと考えて、目をつけたのが俱楽部紹介のページにあった高校の映画研究部。その実態は、特に映画を観ることもなく先輩の女子グループがおしゃべりしているだけの部だったけど、これは部活動なんだと言い張れば、映画が撮れると思って入部したら、学校の設備を使わせてもらえるようになりました。
高校2年生のとき、高校生映画コンクール・映画甲子園に応募した『試験管ベイビー』が監督賞を受賞してからは、さらに高校がバックアップしてくれるようになったんです。とはいえ、役者だけ友達に頼み、スタッフは自分だけ。
ひとりで脚本・撮影・編集まで全部やり、軽音楽部にも所属していたので、映画音楽も自分で作っていました。高校2年生の終わりまでの2年間で、2時間程度の映画を3本、40分くらいの中・短編映画を3本作り、高校3年生では大学受験勉強に専念するため、映画は撮っていません」
第一志望の大学じゃなくても、ここでやっていくしかない!
ー 大学で映像を学ぼうと思った理由は?
「高校は進学校だったので、大学を受験するのが当然のような流れ。大学に進学するなら映画監督コースを目指したいと思って、予備校にも通っていました。
高校生映画コンクールで監督賞をいただいていたこともあり、自信をもって第一志望の大学のAO入試(現在の総合型選抜)を受験しましたが、はじめの書類審査で不合格。推薦入試(現在の推薦型選抜)も落ちて、一般選抜では、自己採点したら学科試験が9割できていたのに、小論文と面接試験の得点が低かったのか、不合格。
これはさすがに歓迎されてないなと悟り、第一志望はあきらめ、大阪芸術大学・映像学科に入学。第一志望の大学ではないけど、切り替えてやっていこう。ここでやっていくしかない!と強い気持ちをもって、大学生活を送っていました。
もともと中学受験では第一志望の学校に合格したけど、校風が合わなくて、全然おもしろくなかった。でも、特に思い入れがなくて選んだ高校は、映画を撮ったりして楽しかった。
だから、第一志望ってのは、ある意味個人で決めた幻想みたいなもので、身を置いた場所から、どれだけ楽しみを見いだせるかは、自分次第だと思っていました」
大学の卒業制作は全国で劇場公開されるほど高評価!
ー 大学時代は、どんな活動をしていたの?
「大学のキャンパスは田舎過ぎて、周囲に何もなく、ある意味、社会とシャットダウンされていて自由でした。何でもできる自由な環境で、なぜ自分は映画を撮るのか、自分と向き合い、悩み、問いかけ続けた4年間でしたね。
高校まで役者以外は自分ひとりで全部やってきたから、スタッフワークがうまくいかず、最初は大変な思いもしたけど、みんなで映画を作ることの意義、みんなで映画を作る楽しさは、大学で学んだ大切なこと。
スタッフ全員がモチベーションを整えて、自分が作りたい映画に対して真剣に取り組んでくれる高揚感と感動は、本当に忘れられません。生きていて良かったなと思いました。大学時代の人間関係は、一生モノです。とても濃いものでした」
どうやって映画監督になったの?
たくさんの人と会って、自分を売り込んでいく
ー 活動拠点を東京に移したきっかけは?
「大学の仲が良かった3学年上の先輩が、東京の映像制作集団に所属していて、大学4年次の秋くらいから自分も毎週のように東京へ行き、ワークショップの映画制作に参加しました。そのときに撮った『眠れる美女の限界』をリメイクした『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY - リミット・オブ・スリーピング ビューティ』が、商業映画デビュー作になったんです。
22歳で上京して、プロデューサーとつながり、自分を売り込んで、少しずつ実績を作っていきました。いつチャンスが舞い込んでくるかわからないので、たくさんの人と出会っていくフットワークは軽かったと思います。24歳で商業映画デビューするまでの2年間は、とにかく濃厚。自分のチームを作ろうとして失敗したり、プロデューサーに依頼された仕事が撮影直前になくなったり、つらい思いもたくさんしました。
実は制作費がなかった、撮影初日に主演が降板、ロケ地が使えなくなったなど、理由はいろいろありますが、映画は突然すべてが白紙になってしまうことも珍しくない世界。
大作だろうと、なくなってしまうことはあるので、撮影に入るまではハラハラです。ぼくの作品では完成後、劇場公開前に危ぶまれたケースも。
自分がコントロールできないところで何かが起きることも多く、映画は過酷なギャンブルみたいな一面もあります」
「何を撮りたい?」と訊かれたとき即答できるように
ー 映画監督の話はどうやってくるの?
「卒業制作『SLUM-POLIS』が劇場公開されたときに観てくれたプロデューサーに『君は何が撮りたいの?』と訊かれ、『チワワちゃんを撮りたいです』と答えたら、『じゃあ、やろう』と言ってもらえたのが、『チワワちゃん』を制作するきっかけ。たまたま岡崎京子さんのマンガ『チワワちゃん』を読んで、この映画を撮りたいと思い、一時期ずっと『チワワちゃん』を撮りたいと言い続けていたらかないました。
プロデューサーにやろうと言ってもらえると、映画の制作委員会が立ち上がり、キャスティングやスケジュールの話が進んでいきます。
プロデューサーに『何を撮りたいの?』と訊かれたとき、小説やマンガの原作があると話がスムーズにいくケースも少なくないので、自分が映画にしたい原作を探しておくのもいいですね」
ー 1本の映画を完成させるのにどれくらいかかるの?
「ぼくが今まで制作した映画は、企画が立ち上がってから劇場公開まで3年くらい。『とんかつDJアゲ太郎』や『真夜中乙女戦争』は、プロデューサーから企画を持ち込まれた後、まず原作を読んでみて、数年かけて取り組む覚悟ができるかどうか、自分に問いました。
映画制作は何年もかかりますし、原作に自分がハマっていないとなかなか良い作品はできません。莫大な制作費と大勢のスタッフの生活を預かって、1本の映画を完成させる責任が負えるのか、覚悟をもって取り組んでいます。
制作には数年かかりますが、それに比べて撮影期間は短く、ぼくが経験した作品の場合は3週間から1カ月程度が多いです。映画の撮影は1日あたり何百万円もかかるので、低予算の映画だと撮影3日間なんてケースも耳にします。
制作費が多い大作になれば、撮影に時間をかけられますが、それでも3カ月~半年程度あればトップクラスのほうではないでしょうか」
ー 映画監督はどうやって収入を得るの?
「映画の制作費の中から、映画監督としてのギャラを得ています。脚本や他の部署も手がけたら、その分も別途いただいています。このギャラは、映画が完成して劇場公開されるまでの分になり、何かの事情で公開中止になっても、大抵の場合、ギャラがもらえないということはありません。
ただし、映画が大ヒットして、興行収入がどれだけの数字を積み上げても、通常の契約だと映画監督には1円も入ってきません。映画監督のギャラ以外の収入は、二次的利用料である印税。
映画がソフト化されたら、DVDやブルーレイなどの売り上げの数%の印税がもらえます。監督だけでなく脚本も書いていたら、脚本の印税も入るので約2倍。
最近では、ネット配信されることも多く、一定期間での契約料や再生回数に応じた印税などが入ってきます。印税は日本映画監督協会が定めたものがあり、一般的には監督のキャリアで流動するものではありません」
映画は観た人の感情を豊かにできるのが魅力
※大人たちがひとつの作品に向かう姿はロマンチックだし、高揚感があると語る二宮監督
ー 映画監督をやっていて楽しいと思うときは?
「ぼくは、とにかく映画が大好き。物語をゼロから作りあげていく、映像で作品にしていく仕事は、夢があって楽しいです。
大人たちが目をキラキラさせながら、ひとつの作品に向かって、ある意味、仕事であることすら忘れて、みんなで一所懸命に前進していく姿は、ロマンチックだし、高揚感があります。
そして、映画を観ている人にも、その世界に旅行しているような高揚感を感じさせられると思うんです」
ー 二宮監督が考える映画の魅力とは?
「映画館という特別な空間で観る映画にしか伝えられないことがあると思います。映画は、SNSなどの動画と違って、テーマに対して、感情と時代背景とドラマがつながっているから、受け取り方が多種多様。
同じ映像を見ているはずなのに、観た人によって感情移入するところが違うし、いろいろな受け取り方があるのが映画です。
映画は、映像を撮っているようにみえて、映像の先にあるものを撮っています。笑わす、泣かす、といった単一的な作用に留まらず、観た人の心を豊かにして、その人のまなざしを広げていくのが映画だと思っています。そのために、観た人の根源的な感情にアクセスする必要があります。
そして映画は、未来にアクセスできるし、過去にもアクセスできます。その時代背景のなかで、どういう人がいて、どういう感情をもっていたのか、自分と他者との接地面をたくさん作ることができるのです。
それは、スマートフォンで流れるように見ているSNS動画のスピード感ではなかなか育み辛い感情かもしれません。感情が豊かになって整えば、簡単に流されずに済むから、自分を大事にできる。情報過多の時代に、いろいろな情報にぶれない自分がちゃんと育成されるはず。おこがましいかもしれないけれど、簡単な感情で自分を傷つけてしまったり、自分を大事にできない若い子をみると、すごく悔しくなってしまうんですよね。
映画を観る目を養うことで、そういう子が少しでも減るといいなと思います」
映画監督になるにはどうすればいい?
※『自分が映画を撮る理由』とは
自分が映画を撮る理由を見つけだしてほしい
ー 映画監督に向いているのはどんな人?
「自分の中に語るべき物語をもっている人。これを映画にしたいと思っていることがある人。
ぼくの場合は、自分の作った映画が、映画文化や映画史にとって良かったと思われたいという願望があります。自分の人生を通して映画でこれを伝えたいというテーマはまだみつかっていないし、まだまだ理想には届いていません。
小学生の映画ごっこから始まって、今までの作品は自分が20代で撮れるものを意識することが多かったけど、30歳になったので、またおのずと変わっていけばいいかな、と思います。
まずは、『自分が映画を撮る理由』をみつけだしてほしい。それがわからなくて、自分は根っからの映画ファンだと思ったら、映画監督ではなく、映画にかかわる他の仕事を選んでもいいと思います。
例えば配給会社で、映画を世に広めていくことも、映画界にとって必要な仕事。プロデューサーも、映画にとってなくてはならない仕事です。
映画に対して、自分はどういう感覚をもっているのか、どう映画とかかわりたいのか、ちゃんと自分と向き合ってみることが、自分のやりたい仕事をみつけるきっかけになると思います」
ー 映画監督にコミュニケーション能力は必要?
「スタッフとコミュニケーションがとれないけど愛嬌とか別の部分でやっていける監督もいるし、コミュニケーションがうま過ぎて隙がない監督もいます。自分はコミュニケーションに昔から苦労していますが、無理をしても続きません。
そういう場合は割り切って、自分のやりやすさ、そのやりやすさに寄り添ってくれる仲間をみつけることも大切です。自分に合っている、自分のことをわかってくれる人はどこかにいるはず。
まずは、自分の殻に閉じこもらず、なるべく人を巻き込んでください。ぼくはそれを意識して、たくさんの友達と一緒に映画を撮ってきました。いい仲間を増やして、自分に合ったやり方を続けていけることが大事だと思います。
映画を撮る信念がないと仲間はできないので、自分に信念をもって、いい仲間をたくさん作ってください」
ー 高校生のうちから映画を撮ったほうがいい?
「もし映画を撮れる環境で、撮りたいものがあるなら、作品を作ったほうがいいと思います。撮るおもしろさ、撮る大変さを経験しておくのは大切です。
ただし、撮っておいたほうがいいから撮る、というスタンスではダメかも。
映画を撮っていなくても、ぶれないハートと撮りたいもの、そして撮るべきときに動けるフットワークが明確にあればそれでもいいと思います。映画監督は、他人の意見に左右されないタフさと繊細さを兼ね備えているのが理想。
映画業界って、今やSNSのDMひとつで、いつでもつながることができます。
ただ、プロデューサーやスタッフとつながったとき、その環境で流されない強い意志と感情をもっているかどうかが勝負。
自分の言語をもっていないと続きません。客観性に乏しい自身の正義を振りかざす人も少なくありません。そういうときに、どう自分を強くもつか。
ぼくの場合、なぜ自分は映画を撮るのかを問い続けた大学での4年間があるから、ある程度のことにも動じない今の自分があると思います」
自分だけが好きな映画をみつけよう
※自分のクリエイティブを支えてくれるのは、自分が好きな映画
ー 今後どんな映画を撮っていきたい?
「公開中の『真夜中乙女戦争』は、主に10代の子たちを驚かせようとしています。10代にとって刺激になると思うし、もしかしたら新しい世界に触れられるような映画になっているかもしれません。すぐにはわからなくても、例えば3年後にもう一度観たら感情が強く揺さぶられた、でもいいと思います。
自分が作った映画が、多くの人の心に届いたら、また新しい流れが作れるかもしれない。既存の流れに乗っかることも時に大切ですが、新しい価値観が生まれるかもしれないというポテンシャルを感じられる作品を手がけていけたらうれしいです」
ー 映画監督に興味がある高校生にメッセージをお願いします。
「たくさん映画を観て、『自分だけが好きな映画』をみつけてください。世の中のトレンドは変わっていくし、ヒットする映画の趣は年々で違います。でも自分が好きになったベースは変わらない。
そして自分のクリエイティブを支えてくれるのは、自分が好きな映画です。映画監督はたくさんいるのに、なぜ自分が新たに映画を生み出すのか、という理由を見つけるきっかけにもなります。『自分だけが好きな映画』がないと、自分が作っていく作品がぶれてしまいます。まずは、それをみつけだしてほしい。
いろいろな映画を観て、目の前にあることの奥をちゃんと見られる力を養ってください。本当の答えは、常に映画の中にあるのではないでしょうか」
文/やまだ みちこ 撮影/沼尻 淳子 編集・構成/黒川 安弥
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