「障がい者の可能性を広げたい」義手・義足を作る義肢装具士に話を聞いた!
昨年、ブラジルのリオデジャネイロで開かれたパラリンピック。
障がい者アスリートたちの活躍が話題になった。高校生のみんなの中にも、義足をつけてハイスピードで走ったり高く跳躍する選手の姿に、目が釘付けになった人がいるのでは?
そんなスポーツ用義足などを作るのは義肢装具士。
3年後の2020年開催の東京パラリンピックに向け、注目されている職業だ。
その仕事の魅力を詳しく探るべく、義肢装具士の神谷大地さん(22歳)に話を聞いた。
身体の一部を失ってしまった人のために義足や義手を作り、社会復帰を支える
「ぼくら義肢装具士は、病気や事故で手足を失ってしまった人のために、日常生活全般を支える義足や義手を作るという仕事。その中にスポーツ用義足の製作があります」
と、神谷さん。
ちなみに「装具」とは、身体にまひや変形などの障がいがある人が身体機能の回復や低下防止のために装着するもので、例えば、ギブスやコルセットなどのことを言う。
神谷さんが勤める「公益財団法人鉄道弘済会義肢装具サポートセンター」(東京都荒川区)では現在26人の義肢装具士がいて、義肢(義足、義手)、装具を合わせて年間約6000件を製作している。
同じ建物の中には手足を切断した患者の診療・リハビリテーションを行う付属診療所を併設。
医師やリハビリを担当する理学療法士と連携しながら、ひとりの義肢装具士がひとりの患者を受け持ち、採寸から製作、適合、不具合の調整まですべてを手がける。
患者の状態に合わせてオーダーメイドで製作する
「義足、義手はその人の身体の一部。患者さんの障がいや身体の状態に合わせてオーダーメイドで作ります」
義足を作るにはまず、患者の患部の脚型を取り、その型に石こうを流し込んで患部を模した模型を作る。この模型を削り出し、患者が装着しやすいように成型していく。
こうして形を整えられたものは「陽性モデル」と呼ばれ、患者さんの患部の状態にできるだけ近いものにすることが重要という。
次に「陽性モデル」の外側にプラスチック樹脂を流し入れて、ソケット(患部との接合部)を作る。
この段階で患者に試着してもらい、形や、きついと感じる場所などをチェック。その後、製作工房で細かな調整を重ねていく。
そうしてソケットを作り上げ、下にパイプ、膝継手(ひざつぎて:膝から上を切断した人の膝関節部分を担うパーツ)、地面との接点にあたる足部などを付けて完成する。
高い技術力も大事だけど、なにより大切なのはコミュニケーション力
「患者さん一人ひとりの要望を聞き、手作業で作ります。複数を同時進行なので、義足1件が完成するまで1~2カ月はかかりますね。
身体にぴったりなじむものが求められるので、患者さんからOKをいただくまで調整を重ねます。
試着や最終の合わせでは、『むずがゆいので直してほしい』とか『なんとなく違和感があるので困る』というような抽象的な要望をいただくこともあり、正直、悩みます…。
また、形や見た目にこだわる方も多く、『私の脚はこんなに太くない!』などというダメ出しもあります」
ちなみに1件の義足の価格は、脚のどの部分から製作するかということや、形状、また使用するパーツなどで異なり、30万円~120万円程度。
それに対し、患者は国の障害者総合支援法による補助金などを利用して、費用をまかなうという仕組みなのだそうだ。
さまざまな希望にこたえるには技術の向上も必要だけど、なにより大切なのは患者とのコミュニケーションだという。
「例えば違和感があるのならばどんな違和感があるのか、詳しく聞き出すように心がけています。
相手がどうしたいのかを理解するために、会話はとても重要です」
モノが作れて、使う相手の顔が見える。そんな自分の理想の職業が義肢装具士!
神谷さんが義肢装具士になった理由は、「相手の顔が見える職業だから」なのだそう!
決断したのは、地元・愛知県内の工業高校2年生のとき。
「モノを作るのが好きで、最初は機械の製造工場などで働きたいと考えていました。
でも、作るだけではなくて、それを利用する相手の顔が見える仕事がしたいと思うようになったんです。
そんなぼくが義肢装具士を目指したきっかけは、病院で見かけたある光景でした。
その病院にはぼくの父親が理学療法士として勤めていて、患者さんのリハビリを担当していたのです。
たまたまぼくが、父親がいるリハビリ室に立ち寄ったとき、目に飛び込んできたのが、脚にまひがあるお子さんが装具を付けて歩行練習をする様子。
モノ作りが好きだったので、装具の構造やどんな人が作っているのかなど、好奇心が湧いてきたのです。
本で調べたり、父親の職場の義肢装具士から話を聞き、患者さんの顔を見ながらその人の役に立つものを作れる仕事だと知りました。
この仕事ならぼくの希望がかなう!そう確信しました」
その体験をきっかけに、神谷さんは義肢装具士を目指し始めた。
義肢装具士になるには、国家資格の取得が必須。
義肢装具士の養成課程がある3年制の専門学校か大学で、義肢装具を製作する技術やリハビリテーション学、基礎医学などを学び、国家試験に合格することが必要なため、神谷さんは高校卒業後に地元の専門学校へ進学した。
その後、卒業してから国家試験に合格。
「ここには付属の診療所があるので、患者さんと密に接しながら義肢装具を作っていける!」
と、東京の鉄道弘済会義肢装具サポートセンターへの就職を志し、2016年4月に入職した。
「理想の職業に就けたと思っています。目の前にいる患者さんによろんでもらえるのは、自分にとっても大きなよろこびになります。『この義足、いいね!』『今までどおり歩けるね!』と言ってもらえたときは、すごく嬉しいですよ」
人の可能性を広げるという、よろこびのある仕事
今後の神谷さんの目標は、あらゆるニーズに対応できるオールマイティな義肢装具士になること。今後は、スポーツ用義足も数多く手がけてみたいという。
スポーツ用義足は日常で使う義足とは異なり、「板バネ」と呼ばれる、カーボン製の特殊な形状の足部を使用して作ることが特徴。現在、この板バネの改良や義足の軽量化など、盛んに技術開発が進められている。1件の価格は100万円以上になもなる。
スポーツ用義足については、今はまだ先輩の製作を手伝った経験があるのみで、勉強中とのこと。
スポーツ用義足の知識を深めるために、障がい者対象の陸上クラブ「ヘルスエンジェルス」の練習会にも参加し、義足ランナーたちのサポートをしているという。
ちなみに「ヘルスエンジェルス」は、神谷さんの職場の大先輩である義肢装具士で、日本におけるスポーツ用義足の第一人者、臼井二美男さんが1991年に設立したクラブ。
このクラブから多くのパラリンピック出場者が誕生している。
「パラリンピックで活躍する義足ランナーは最初からアスリートだったわけではないんです。
脚を切断してしまって、それまでのように生活できなくなった…。
でもそこからまず『歩きたい!』という思いをかなえ、そして『走りたい!』をかなえる。走る楽しみが高じて練習に励み、アスリートとして競技会に出るようになる…。
そんなプロセスがあってのことです。
ぼくら義肢装具士が作る義足は、患者さんの人生が前を向くために助けになるものなんだなと実感しています」
いよいよ3年後は東京パラリンピック。チャンスがあれば、義肢装具士として大会にかかわりたいと夢を語る神谷さん。
義肢装具士の職業に興味が湧いてきたキミ、これを機に、さらに詳しく調べてみよう!
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主な就職先
義肢装具を作る企業や製作所・リハビリ施設・病院
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義肢装具士になるには
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