~Vol.3~ いま一番、困っている人を支援する、人道支援の仕事。
自然災害で家や財産を失った人。
紛争で国を出てきた人。
そんな支援が必要な人をサポートする、緊急・人道支援課で働く、外務省の田北多絵さん。
英語大好きだった少女がなぜ、人道支援に目覚めたのか、そして、人道支援の現状などのお話を伺いました。
雅子様のご成婚を通じて、外交官に興味を持った子供の頃。
【ウガンダ北部の支援サイト視察。自分たちで農業をするためにコメの指導をしていました】
外交官という仕事を知ったのは、雅子様のご成婚がきっかけでした。
単純に「外交官ってかっこいいな」と憧れたのです。
小さい頃から近所の英語教室に通い、海外の人と話す楽しさも実感していたので、自然な流れで高校は英語科へ。
ニュージーランドにホームステイし、大学は国内と海外の2つの学位がとれるという点に、“おトクさ”を感じて進学(笑)。
1年生で渡米し、ワシントンDCで国際政治を学ぶ傍ら、短期留学でベルギーへ。
そこでEUについて学びました。当時は東欧諸国がEUに統合される前で、ベルギーで知り合った様々な国の仲間たちと、東欧を回ってみたり。
そんな経験があったので、いよいよ本格的に外務省に入って国際政治をやりたいと決意し受験。
しかし試験に、なかなか受からなくて。そこで大学院で学びながら試験に備えることにしたのですが、その矢先、世界に対して食料支援を行う国連WFPがインターンを募集していると知り応募。
これが、私が人道支援に関わる、最初のきっかけになりました。
「今日、ご飯が食べられた!」そんな当たり前すら、難しい国。
WFPで経験したのは、日本が支援したアフリカの子供たちからの手紙を日本語に訳すこと。
「支援のおかげで、今日のご飯が食べられた。だから、やっと私も将来に希望を持てるようになったんです!」
そんな手紙を読んで、涙が浮かんできました。私もこんなふうに人の役に立つ仕事したい!
この時、私は人道支援という仕事に目覚めたのです。
その後は、まず東京の外務省本部でウガンダやザンビアなどのアフリカの国に稲作のサポートをしたり,電気・道路を通すプロジェクトに参加。
その後,専門調査員としてウガンダ大使館に派遣され、アフリカとは縁のある日々を送ってきました。
日本から見たアフリカは、貧困や病など問題ばかりクローズアップされる面もありますが、実際に行ってみると、とても魅力的な所です。
たとえば、ウガンダは、過ごしやすい気候がずっと続き、いつ植えてもバナナがなる世界。
だから、みんな時間感覚がない(笑)。
セレモニーの準備をなかなか進めてくれなくてやきもきしたりもしますが、その反面、みんな大らかでいつだって前向き。
日本から見たら“小屋”のような家に大家族で住んでいても、私たちが訪ねると、大切なヤギを料理して、心から歓迎してくれたり。
そんなお国柄に、学ぶこともたくさんありました。
日本と同じくらいの人口が、支援を必要として暮らしている現実。
【奥に見えている建物が、ハットと呼ばれる彼らの家。この中に大家族で住んでいることも】
ところで、みなさんは、いま人道支援を必要としている人が、世界に何人いると思いますか?
その数、なんと約1億2500万人、ちょうど日本の人口と同じくらいです。
それだけの人が支援を必要としている。
中でも紛争などで出国してきた人たちは、身一つで食器も着替えもない。
たとえば、シリア危機などは、もう6年近く続いてきて、当時、幼かった子供が小学校を卒業するほどの年に。
そんな大切な時期に、しっかりした教育を受けられない。
それは子供たちの将来に大きな影を落とすことにもなりかねません。
難民は、その日の食べ物や住む場所にも不安を感じる生活で、仮に親に教える力があったとしても、不安を抱えた心では、そこまで目が行き届かない。
だからこそ、私たちが支援をする必要があるのですね。
こんなふうに、難民・国内避難民や自然災害などに被災した方々をより良く支援する方法を、様々な国や機関で議論していこうというのが、5月23、24日に開催された世界人道サミットです。
そこでは、自国を出た難民に対して、今日生きるための食事や住居などの提供だけではなく、将来自分の国に帰った時に生活を支えられるような教育や職業訓練の提供の大切さや自然災害が起きる前にどう備えるかといった、ノウハウの共有などを行いました。
難民の方々は、着の身着のまま避難していることが多く、自分を証明する身分証の発行なども重要です。
人道支援を行う私たちが目指すのは、まさに「支援が必要ではない世界」をつくること。
そんな理想が叶う日が、すぐに来るわけではありませんが、私は支援をする人がいる限り、この仕事に情熱をもってやっていきたいと思っています。
田北さんの受験必勝法
私の場合、英語が好きだったので、特に英語についてお話します。
私は高校で英語科へ進んだこともあって、周りには帰国子女が沢山。
自分よりできる人の存在に触発されて、英会話スクールに通うことに。
そこで、たくさんのチケットを買ってしまったので(笑)、部活もせず、毎日学校が終わったらスクールに通う日々。
また、洋画を見る際は音声は英語で、字幕は日本語で見て意味をとって、同じように発音してみたり。
また、一年の時から、毎日ターゲットをやって。
地道に続けることで、着実に力がついていました。
高校生のみなさんへ
私たちやみなさんのおじいちゃん、おばあちゃん世代は、戦後すぐの何もない頃に世界からの支援で給食や着る物をもらっていました。
そんな状態から立ち上がった日本を憧れの目で見ている国が、世界にたくさんあることを外務省に入って改めて知りました。
そして、開発協力などを通じて、日本が支援してきた歴史があるからこそ、東北や熊本の震災の時は、本当に色々な国から、たくさんの支援をいただけた事実も。
実際に、ウガンダ駐在の頃に、3.11が起き、翌朝、地元の人が大勢、お見舞いを言いに来てくれたり。
また、ウガンダでは日本の中古車がたくさん走っています。私たちが思う以上に日本って世界から憧れられ、信頼されている。
そんな国だという誇りを、みなさんにも感じてもらえたら嬉しいですね。
レッドカップのストラップとユニセフ・ベアのキーホルダー
赤いカップはWFPのストラップ。これは、アフリカなどで子供たちに配る給食のカップをモチーフにしたもの。
このカップにおかゆやスープを入れて子供たちに配る。
それが、その子にとっては、その日のたった一度の食事ということもあるのです。
ちなみに、このレッドカップマークがついた商品を買うとアフリカの子供に一回分の給食が配られる仕組みもあるので、みなさんも意識して探してみてください。
田北 多絵
外務省 国際協力局 緊急・人道支援課
国内と海外の大学で国際関係学を学んだ後、外交官を目指す。試験に備えながら経験したインターンで人道支援の大切さに気づき、アフリカ諸国への開発協力やウガンダに駐在するなど、アフリカと縁がある日々。現在は、緊急・人道支援課に所属し、世界人道サミットの準備や自然災害・紛争等の被災者への国際機関を通じた支援などに邁進。ちなみに、どこの国に行っても「現地の食事をおいしく食べられる」が強みの一つだそう。
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スタサプ編集部