教科書には載っていない!歴史上の人物のびっくり恋バナ3選!
歴史はただ教科書を読むだけじゃつまらない! 時には偉人たちの面白話やびっくりエピソードを調べてみるのも、映画やドラマを見ているようなライトな気分で勉強できてオススメ。
ということで今回は、授業では教わらないような、歴史にまつわる恋バナを集めてみた。
■日本初のミスコン女王・常盤御前の美しさに平清盛もメロメロ?
「牛若丸」として有名な「源義経」の母で知られる常盤御前は、絶世の美女だったと言われている。当時の帝・近衛天皇の妻であった九条院(藤原呈子)は美しい女性が大好きで、「雑仕女」という自分の世話係を都中の美女1000人を集めて審査。その中からナンバーワン美女に選ばれたのがほかの誰でもない、常盤御前だった! これが日本で初のミスコンと言われている。
その後、平治の乱で夫・源義朝を亡くしてしまった常盤御前。自分はさておき、息子たちはなんとか助けてもらおうと、敵である平清盛の元へ向かった。敵対勢力であった源義朝の妻なので、会った瞬間、清盛に殺されてもおかしくない状況。しかし、清盛は常盤御前を見た途端その美しさに一目ぼれ! 息子ともども常盤御前の命を助け、ついには自分の側室にまでしてしまったのだ。
ミスコンにも優勝し、戦乱のさなかに敵の大将に助けられるなんて、相当の美人だったのだろう。そして助けてくれた平清盛も、慈悲深い人だったのかもしれない。
■摂関政治に引き裂かれた恋、在原業平と藤原高子
『伊勢物語』に登場する主人公のモデルとされる在原業平は、天皇の血を引くサラブレッドで和歌の名手。さらには平安時代きってのイケメンとしてとても有名で、数多くの女性たちと付き合っていたそう。
平安時代ということは、藤原氏が娘や姪っ子を天皇と結婚させて政治の実権を握るという政策「摂関政治」のまっただなか。摂政・藤原良房は17歳の姪っ子・高子を9歳の清和天皇と結婚させようとしていた。しかし、ちょうどその頃、高子は35歳の業平と出会い、二人は恋に落ちてしまう。
しばらく恋愛関係は続いたものの、もちろん許されるわけがない。そのスキャンダルを知った藤原氏一門はたいそう怒り、二人を引き裂いてしまったのだ。
その後、高子は清和天皇と結婚し、業平も恋愛だけではなくまじめに仕事をし、昇進もしていった。「9歳の男の子と結婚しなければいけない」と言われた高子の気持ちを考えると、35歳の業平はたいそう大人っぽく、魅力的に見えたのだろう。
■江戸時代最大の火災は1人の娘の一途な恋心が原因? 「明暦の大火」
江戸時代最大の火災「明暦の大火」(1657年)の原因には、このような噂が囁かれている。
道ですれ違った少年に一目ぼれしたとある町娘。その後も少年を忘れられない娘は、彼と同じ着物を購入し、恋の想いを募らせた。しかししばらくして、娘は病気で亡くなってしまう。母は、供養のためにその着物を寺に奉納した。後に着物は古着屋に売られたものの、翌年、なんと別の娘の葬式で同じ着物が寺に納められたのだ。
僧侶たちは「これはあの町娘の呪いに違いない」と恐れ、その着物を燃やすことに。しかし寺の庭で燃やしていると、突然強風が吹き荒れ、火の中から誰かが着ているかのように着物が動き出したのだ! そして火花が次々と軒先に舞っていき、江戸中を燃えつくす大火災となっていったという。
娘の叶わぬ恋が呪いとなって大火事になったと聞くとなんだか切なくなる。この話が元となり、「明暦の大火」は別名「振袖火事」とも呼ばれているのだ。
携帯電話もなければ、誰かを自由に好きになることも許されなかった時代。今では考えられないような、驚きの恋バナがまだまだたくさんある。こうした話を本などで調べてみるのも、歴史の勉強になるぞ!
■参考
・本妙寺発行 『本妙寺と明暦の大火「再考」』
・『平治物語』(岩波文庫・岸谷誠一著)
・『伊勢物語』(岩波文庫・大津有一著)